イサム・ノグチと「青い壁の家」 - 学問空間

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月26日(火)18時58分50秒

加藤薫氏の『ディエゴ・リベラの生涯と壁画』は八百ページを超える大著で、なかなか読み応えがありますね。

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これまで断片的紹介にとどまってきたリベラ作品を,現地調査を踏まえて詳細に分析.波乱に富む作家の軌跡とその特異な生き方をエピソードとともに紹介する.時代状況やぶつかりあう最先端の社会思想と関連させながら,ディエゴの芸術思想について考察.政治と芸術の相克を描き出し,オルターナティブ・モダニズムの先駆者の現代的・普遍的意味を浮彫りにする本邦初の本格的研究.

https://www.iwanami.co.jp/book/b265622.html

全体的に非常に真面目な論考なのですが、対象がそれほど真面目でもない部分を持った人たちなので、時々出てくる変なエピソードに惹かれてしまいます。

例えば彫刻家のイサム・ノグチは1935年夏から翌年春にかけて八か月ほどメキシコに滞在していたそうですが、その間にフリーダ・カーロの愛人になっています。(p547)

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 メキシコ生活にまた別の楽しみと刺激を与えたのはある女性だった。はっきりした日時までは不明だが、ノグチがメキシコにきてからまだそれほど間のない夏の終わりか初秋のある日の午後、ロドリゲス市場の近くを歩いていたノグチに一台の車が近づき、後部座席の女性が声をかけてきた。現代風にいえば逆ナンパの状況だろう。いずれにしてもこれがノグチとディエゴの妻フリーダ・カーロの最初の出会いであった。二人はたちまち恋仲になった。一九三五年頃に写真家エドワード・ウェストンの撮影したノグチの肖像写真余白にフリーダは「私のダーリン 私の愛する人に」という書き込みを残している。二人の密会にはコヨアカンのフリーダの実家「青い壁の家」が使われたり、それでなければやはりコヨアカンのアグァヨ通りにあった妹クリスティーナの家が使われた。サン・アンヘルにあるファン・オゴルマン設計のアトリエ兼住居の三階にあるフリーダの寝室ではあまりに危険が多かったのだろう。

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そして、フリーダが、より安全な密会用のアパートを準備している時に、家具の誤配からディエゴが二人の関係に気づきます。(p548以下)

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 怒り狂ったディエゴはフリーダのいるはずの「青い壁の家」に向かった。ノグチとフリーダはベッドでお楽しみ中だったが、フリーダの使用人のチューチョが機転をきかせてディエゴを引きとめる一方、迅速に二人にディエゴの到来を告げた。いつもと違う空気の流れから、フリーダが誰か他の男と密会しているのを確信したディエゴは拳銃を抜いてフリーダの寝室へと走った。

 ノグチはあわてて服を着たが、飼い犬がじゃれつき、靴下の片方を持ち去った。ノグチは銃弾を避けるために、庭には出ず、中庭にあったオレンジの木を伝って屋根の上によじ登り逃げ去ったという。犬のくわえた靴下に気がついたディエゴは音のする屋根に向かって発砲した。間一髪で逃げ切ることができたのはまさに幸運としかいいようがないし、後でフリーダとディエゴの間でどのような修羅場が展開したかはあまり明らかではない。次にディエゴとノグチの二人が出会ったのはフリーダの病状悪化で入院していた病院で、ディエゴが看病しているところに野口が見舞いに現れた。ディエゴは早速銃をとりだし、次に会った時は確実に弾をぶち込むことを告げた。この後ノグチは帰国までフリーダと会うことはなかった。

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ディエゴは身長約185cm、体重は120?を超える巨漢で、ヒキガエルに似た怪異な容貌をし、ピストルの扱いにも慣れた人ですから、ノグチもよくもまあ、そういう人の妻の愛人になったものだと思います。

イサム・ノグチ(1904-88)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%81

フリーダ・カーロ博物館(「エスニック見ーつけた!」サイト内)

http://search-ethnic.com/museo-fridakahlo