育児に行き詰まらない方法13歳編

コチラのブログでは何度もお伝えしているが、

私は子育てし始めの頃、

理想とのギャップに

苦しんだ経験がある。

聖母幻想

産後クライシス解消法

人生で一番泣いた日

幸いにも職業柄、

何に辛さを感じているのか

という、

自身の感覚にはとても興味があったので、

その究明に向け、

人一倍体当たりしてきたのではないかと、

勝手に自負している。

例えば、機械が故障したら、

直すためにまず必要なのは、

何処が壊れているのかを探し当てること。

人の心も同じで、

不調の原因を探し当てなければ、

改善しようも無く、

苦しくとも、

それと向き合い味わうことは、

避けられない工程でもある。

私はここ数年、自分の感情を、

言語化しながら整理整頓しつづけた。

そして、そこで突き止めた、

原因と思われる現象たちを、

家族に伝えてみたり、

友人に相談したり、

時にはコーチングを学んでみたりしながら、

その都度、改善を試みた。

その甲斐もあってか、現在は、

ほとんどの悩みが解消されているのだ。

私も人間なので、

大なり小なり常になにかしらはあるけれど、

この過程で編み出した自己救済の術は、

確実に、

私の世界を変えてくれたもの。

それらが、

万人に効果があるという実証は無いけれど、

もしも子育てに、

苦しさを感じている方がいらっしゃれば、

参考程度に読んでいただければ、

幸いである。

さて。

お世辞にも素晴らしい親とは

言えない私ではあるが、

そんなこととは関係無しに、

わが家のこどもたちは、

とてもしっかりしている。

例えば、

もうすぐ3歳半になる娘は、

私が朝起きると既に、

着替えを全て済ませていることが

頻繁にある。

そして、

おかーさん起きてと

起こしてくれるのだ。

そして私は粘り強く起き渋る

もちろん、

着替えていないこともあるが、

私今日何着るの?

娘うーんとねぇ、お花ー!

私お、いいねー

などという、

一連の会話をすれば、

自分で服を取りに行って、

自動的に着替えをするので、

着替えなさい

と声をかけることは、ほぼほぼ無い。

その代わり、ではないが、

どんな服を選んできても

文句は言わないようにはしている。

明らかに暑そうであったりすれば、

一応暑くない?とは聞くが、

本人が大丈夫と言えば、

深追いもしない。

彼女はお洒落が好きなので、

自分で選ぶことが楽しいのだろう。

服装に関する様な失敗も、

自分で体感しなければ学べないので、

その機会を奪わないように心掛けている。

トイレトレーニングも、

私がしたことといえば、

シールを買ってきたことくらいだった。

トイレで用が足せたら、

シールが貼れるというシステムだけ提供し、

成功すれば、共に喜ぶ。

それでゆるゆるとやり続け、

二月くらいで完了した。

もちろん何度も失敗はしたが、

いつか出来るようになることはほぼ明確なので、

なぜなら現在、私の同級生にいまだオムツの人は居ない

お互いにプレッシャーは感じていなかった。

何より一番気楽だったのは、

子どもがオムツを卒業できなくて困る理由が

親が人目が気になる以外に

見あたらなかったので、

だったらそんなものは気にしないと、

あらかじめ決めていたこと。

そう。

育児の悩みのほとんどは、

この言葉で解決するのだ。

ある時ふと、

言うことをきかせたいと

躍起になっていたことが、

彼らの将来のためではなく、

自己保身のためだったと

気が付いた。

礼儀正しくマナーを守って。

子どもにそうさせられなければ

親失格な気がして、

彼らの模範的行動で、

自分を肯定しようとしていた。

周りから駄目な親だと思われていないかと

怯えていたのだ。

参照人目を気にせず生きる方法

その、

自分の勝手さに気が付いてからは、

いい母になりたいという思いを捨て、

いい子という概念を捨て、

誰にどう見られるか、よりも、

子どもとの関係性、

子どもの方向性を、

出来る限り優先した。

そして何より、

彼らに対し、

正直で居ることを、心掛けた。

変に機嫌をとったりせずに、

してくれて助かったことには、

ありがとう助かったよ

と毎回伝えるが、

いらないものはいらないと、

きちんと伝える。

してくれて嬉しい行為には、

ありがとう嬉しいよ

と伝え、

悲しい行為には、

母さん悲しいわ

と、伝え続けた。

冒頭で話した、

娘が自発的に行うお着替え。

これを定着して行うようになったのは、

自分で着替えてくれた際に毎回、

自分で着替えてくれてありがとね

かあさんめっちゃ助かるわー!嬉しい!

と、

そのお礼を伝え続けたからなのだと思う。

悲しいことについては、

その場での即訂正、即反省は、

期待しないことが大切な気がしている。

その場で即、悲しかったことは伝えるが、

そこに留める。

無理に謝らせたりせず、

痛かった、悲しかった、などを

出来るだけ具体的に伝えるだけ。

お母さん貴方に叩かれて痛くて悲しい

だったり、

ばぁば叩かれて痛かったって。

かわいそうだね。ばあばごめんね

と、代わりに先に謝ってみせたりして、

叩くと相手がどんな思いをするのか、

その場合大人はどんな行動をとるのか、を、

伝えつつ、

たとえ反省していないように見えても、

深追いはせずに、

子どものタイミングを待った。

すると、驚くべきことに、

かなり後になってから、

かあちゃんさっき痛いしてごめんね

などと、

自発的に謝ってくれるようになったのだ。

小一時間後のこともある。

半日経った後のこともある。

次の日に言ってくることすらある。

こどもの表現は、

大人とは違うのに、

かつての私は、

その場で反省したそぶりを見せるまで叱ったり、

謝るまで詰め寄ったり、

彼女に、

大人的なパフォーマンスを求めていた。

親である私の気が済む方法を、

強要していたのだ。

1歳半の息子は、

今まさに、机に登りたいシーズン。

何度言っても登るので、

その都度おろすのだが、

今はただ、それでいいのだ。

娘の時にはそれが分からなくて、

どうしたら伝わるのかを悩み続け、

きちんと教えられない自分を恥じた。

けれども、そうじゃなかった。

今、娘はもう、

机には登らない。

あー机に登っちゃダメよ!

と、

弟に諭したりもする。

伝え続けていれば、いずれ必ず、

登らなくなる日が来る。

その日が来るまで、

淡と伝える、

それだけで、よかったのだ。

スプーンで、バケツの水を満たすように、

針と糸で、1針1針縫うように、

毎日を積み重ねる。

その結果は、

忘れた頃に、必ず見えて来る。

今はこれで大丈夫

これが、

私がこの三年半で学んだ、

育児的合言葉。

ちゃんと伝わってるから、

焦らなくて大丈夫なのだと、

娘がその存在で、

教えてくれたのだ。

比較は幸せを招かない。

隣の芝生が青かろうが、赤かろうが、

うちは石畳だから関係ない。

そうやって、家族共、

生きていこうと思う。

最近では、

いつもご飯キレイに食べてくれてありがとうね

と言われるのが嬉しいのか、

幼稚園から帰ると真っ先に、

リュックを開いて、

空っぽになったお弁当箱を見せてくれる娘。

かあちゃん、嬉しい?

と、聞きながら、

嬉しそうな顔をしている彼女を見て、

私はもう一度、嬉しくなるのだ。

広島市西区商工センター泉美術館

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内容

この本には、知りたいことの全てが載っていました

旅、思春期、大切な人の死、恋愛、

結婚、仕事、子育てなど、

33歳の著者が赤裸裸に告白する、人生の出来事。

著者の経験や感情を通して新たな感性を示す、

哲学的エッセイです。

私という鏡は、

どんな貴方を映し出せるだろうか。

笑いや涙、様な感情が沸き上がるので、

人前で読まない事をおススメ致します

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このブログは、2017/6/24に出版予定の

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