本所総鎮守 〜 牛嶋神社(うしじまじんじゃ) 〜
天満宮ではないのに、撫牛(なでうし)がいます。
神社の名称が『牛嶋』だからかな。
平安時代の貞観二年(860)に慈覚大師・円仁が、須佐之男命(すさのおのみこと)の化身である年老いた男から神のお告げをきき、須佐之男命を郷土守護神として勧請したことにはじまる。後に、天之穂日命(あめのほひのみこと)を祀り、次いでこの地でなくなられた清和天皇の第七皇子・貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)を併せ祀り「王子権現」と称しました。治承四年(1180)源頼朝(みなもとのよりとも)が大軍をひきいて、下総国から武蔵国に渡ろうとした際に、豪雨による洪水のために渡ることができず、武将・千葉介平常胤(ちばのすけたいらのつねたね)が祈願し、神明の加護によって全軍無事に渡ることができ、頼朝はその神徳を尊信し、翌養和元年(1181)に社殿を造営し、多くの神領を寄進させました。さらに天文七年(1538)六月には、後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったという。江戸時代には、鬼門守護の神社として将軍家の崇敬も厚く、特に三代将軍家光から本所石原新町の土地の寄進を受け、祭礼渡御の旅所となりました(現・摂社 若宮はその一部)。古くは向島須崎町にありましたが、関東大震災後、昭和のはじめ現\xBA
瀉呂忘瞳絜気譴泙靴拭L声0歐形阿蓮∨椽衂縦丨竜輅晙殻晴Ρ〆脳〇菑別棆\xAB不動)が、別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めました。隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称しています。
社格等:旧郷社
神紋:
ご利益:厄災除け、病気平癒、国家守護、勝運・必勝祈願など
拝観:年中無休。
(4〜9月)5:00〜18:00
(10〜3月)5:30〜17:00
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3622-0973
URL:なし
アクセス:
・東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」 徒歩3分
・東京メトロ「浅草駅」 徒歩10分
大鳥居(おおとりい)
東側、三ツ目通りに面した石鳥居。関東大震災で壊滅した東京の帝都復興祭が行われた昭和五年(1930)に奉納されたもの。
牛慰霊包丁塚(うしいれいほうちょうづか)
明治以降食事が洋風化、牛肉を食することが一般化。食肉業者が供養のために牛に関わりのあるこの神社に奉納しました。牛の後ろの板碑には『人の世の奉仕に生きる牛黙す』との川柳作家・村田周魚(むらたしゅうぎょ)の川柳が彫られています。昭和三十七年(1962)6月27日の造立。
北條時宗偉功碑(ほうじょうときむねいこうひ)
明治十八年(明治十八年)、戯作者・仮名垣魯文(かながきろぶん)、肝付兼武(きもつきかねたけ)などが建てたもので、鎌倉幕府第八代執権・北條時宗の功績を記しています。篆額(てんがく)『殲蒙古仇碑記』は長州藩第十四代(最後の)藩主・毛利元徳(もうりもとのり)。肝付の撰文を内閣大書記官だった金井之恭(かないゆきやす)が書し、石工の名人・廣羣鶴(こうぐんかく)が鐫(のみ)をとっています。
碑のまわりには、複数の力石(ちからいし)〔区登録文化財〕が置かれています。
いそかすはの狂歌碑(いそかすはのきょうかひ)〔区登録文化財〕
江戸後期の戯作者・烏亭焉馬(うていえんば)自身が文化七年(1810)に建てた狂歌碑。元禄時代にひとつの話芸として確立された落語も、その後衰えていましたが、天明四年(1784)に向島の料亭武蔵屋において、焉馬が自作自演の「噺の会」を催し、好評を得たことから江戸落語が盛んになっていきました。寛政末年頃には現在の落噺の形が完成し、明治に入って落語という呼び方が定着しました。落語中興の祖とよばれる。
『いそかすは 濡れまし物と 夕立の あとよりはるゝ 堪忍の虹』
狛犬(こまいぬ)
神楽殿(かぐらでん)
手水舎(てみずしゃ)
井戸(いど)?
奥にある石碑は、太田南畝詩碑(おおたなんぽしひ)。
三ツ鳥居(みつとりい)
三輪鳥居(みわのとりい)ともいう。明神鳥居の両脇に、小規模な二つの鳥居を組み合わせたもので、全国的にも珍しいもの。
社殿(しゃでん)
総檜権現造。主祭神・須佐之男命(すさのおのみこと)、相殿に天之穂日命(あめのほひのみこと)、貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)を祀る。昭和七年(1932)の建立。
神牛(しんぎゅう)〔区登録文化財〕
享保十四年銘 一対と文政十年銘 一対。
獅子岩(ししいわ)
獅子の子落としの像。獅子の子落としとは、獅子は子を産んで三日たつと、その子を千仞(せんじん)の谷に蹴落けおとし生き残った子ばかりを育てるという言い伝えから、我が子に試練を与え、その才能を試すこと、また厳しく育てることのたとえに用いられる。
撫牛(なでうし)〔区登録文化財〕
「撫牛」は自分の悪い部分と牛の同じ部分を撫でると病が治るという信仰で、肉体だけでなく心も治るという心身回癒の祈願物として有名。文政八年(1825)に奉納されたものといわれ、以前は牛型の自然石だったという。
日時計(ひどけい)
地方時表示の石造水平型日時計。東両国八町睦奉納品。
小梅稲荷神社(こうめいなりじんじゃ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る。旧向島小梅町にあった稲荷社が遷されました。
社務所(しゃむしょ)
神輿庫(しんよこ)
石碑群(せきひぐん)
建国二千六百年記念町会創立三十年記念碑、石塔、富士山小御嶽石尊大権現碑(ふじさんこみたけせきそんだいごんげんひ)などが並ぶ。
石造鳥居(せきぞうとりい)〔区登録文化財〕
西側。文久二年(1862)銘の鳥居。
門標碑(もんぴょうひ)
東京出身の書家・龍洞朝倉忠雄の謹書(きんしょ)。昭和五年(1930)10月の造立。
荻園加藤先生之碑(おぎぞのかとうせんせいのひ)
幕末〜明治時代の国学者・歌人の加藤千浪(かとうちなみ)の碑。荻園は千浪の号。篆額(てんがく)は神道家・平山省齋(ひらやませいさい)、撰文(せんぶん:文章の作成)は服部謙(はっとりけん)、江戸の名工・宮亀年(みやきねん)が刻む。明治十年(1877)の造立。
慰霊碑(いれいひ)
本所地区の日清以来の戦没者および第二次世界大戦の戦災による死者を慰霊する碑。昭和三十年(1955)の造立。
戦利兵器奉納之碑(せんりへいきほうのうのひ)
石造鳥居(せきぞうとりい)
南側、隅田公園に面する。昭和三十二年(1957)の造立。
摂社 若宮牛嶋神社(わかみやうしじまじんじゃ)
三代将軍徳川家光から牛嶋神社に寄進された当地を、牛嶋神社の御旅所(おたびしょ:神霊を仮に安置するところ)として利用されたことに始まる。
東京都墨田区本所2-2-10
【御朱印】
「牛嶋神社」
●地図