1985年8月12日、日航123便が墜落した不可解の謎…自衛隊員二人が首つり自殺とは? - 自由気ままな地球人の今日も良い日な毎日・レッツゴー!
昨日、
「8月が巡ってきた、日航123便の墜落にまつわる解けない謎…いったいなぜ墜落したのか?」
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こちらでいろいろと不審に思う様々な事象について記事にしましたが、まだまだ、不可解なことはあります。
その一つが、この事件のあと、「自衛隊二人が山中で首つり自殺をした」と言う報道がなされた事件があったことです。
私の記憶では、自殺したとされる自衛隊員二人は、自分ではつれないような高さで首つりをしており、実は殺されたのではないか?と噂が流れていました。
当時の私は、不思議に思いながらもスルーしており、その後、当時の状況とすり合わせてみると、明らかに不可解である、「二人の自衛隊員の首つり自殺」であったわけです。
この時代って、政治家や官僚や、銀行員がよく殺されてはいませんでしたか?
自殺だったり、奥様が玄関先で刺されて死んだり…
ありましたよね…
そして、さらに調べてみると、自殺者が出たのはこの二人の自衛官だけではなく、他にも自殺者が連続していた…という不可解どころか、何かがある‥としか思えない事柄が出てきました。
では、その不可解な、二人の自衛官の首つり自殺の事件を開いてみましょう。
いくつかの、この不可解な事件を追って、ブログを書いている方々の紹介で始めましょう。
それを見て、どのように思うか、判断されるかは個人個人で異なるでしょう。
真実を知ることは出来ません。
どんな話も、ピースをばらばらにおいてみたに過ぎないのです。
真相を知るには、当事者が本当のことを話す以外にないのですから…
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<事故後にも死者が続出>
1978年のしりもち事故を起こしたパイロットと、それを修理した整備総担当者が自殺しています。
123便の尾翼付近にオレンジ色のミサイルが突き刺さっていたことを証言をし、真相を追っていた人物も、2009年8月8日の月例会で話している最中、ペットボトル『おーい!お茶500ml』を飲んだ30秒〜1分後に突然倒れ、翌日死去しています。
また、事故現場にオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人が、事故から何年も経った2010年5月16日に江戸東京博物館で目撃証言を依頼されましたが、講演の2週間前に車の後輪がバースト。
死亡事故には至らなかったものの、損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない熱戦銃によるものと判明しました。
放射能症にかかりながら何度も入山して証拠品を収集していた人物も、遅効性の毒ガスを撒かれる、車のブレーキに細工をされる、自転車を不審車に体当たりされるなど、何度も命の危機を感じています。
事件以降、自衛隊員の自殺者も増加しています。
自衛隊員の自殺は、最初に不審な自殺者が出たとされたのが1986年の7月。二人の航空自衛隊パイロットでした。
次に同年9月12日と14日、航空自衛隊員が二人自殺し、以降、自殺数が増加しています。
自殺数は1986年には年間90人以上。1981年から73パーセントも増加しました。しかし、これだけの自殺者が出ても報道すらされていません。
実際には発表された人数以上が亡くなっている可能性が大きく、本当に自殺かどうかも疑わしい件が何件もあります。
(注!そして二人の自殺した自衛官の首つりの写真がぼかしてのっていますが、確かに、踏み台もないところで、足が浮くような首つりを自殺で、どうして実行できるのか…不思議でなりません…詳しくはリンク先へ飛んでご覧ください。)
ここで、12日に死亡した自衛隊員が友人に預けていた二枚の写真について書いておかねばなりません。
一枚は『7月に自殺した同僚二人の首つり写真』です。
二人は自殺決行直後に発見され、搬送された病院内にて死亡したと発表されていますが、とてもおかしな話です。
まだ生きていたなら、首を吊っている状態の写真を撮る余裕なんてあるでしょうか?
(注!当然誰かが、脅しのために現場写真を撮ったものを密かに所持していて、友人に託した…としか思えません…)
また、踏み台も無い場所で二人並んで首を吊っているという不審な点もあるのに、司法解剖も検視解剖もされていません。
自殺というのも、病院内で死亡というのも、嘘だと思います。
もう一枚の写真は、暗い倉庫内に置かれた『飛行機の尾翼』が写っている写真です。
この尾翼には鶴のマークがあり、大きな破壊痕とオレンジ色のミサイルの一部が付着しています。
どう見ても、『見つかっていないことになっているはずの123便の尾翼』です。
この2枚の写真を、何の説明も無しに友人に預けた自衛官は、いったいどんな思いだったのでしょう。
自殺をする予定だった、もしくは、自分も殺されると察していたのでしょうか。
(注!自殺した自衛官が、自分が自殺する前の7月に首つり自殺したとされる同僚の首つり現場の写真と、見つかっていないはずの破損した日航機の尾翼の写真を友人に預けていたということは‥)
以上転記終了
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また別の方のブログを見てみます。
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自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。
自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)
最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。
そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)
そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、
一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。
この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)
そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?
日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。
写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。
折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?
自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。
以上転記終了
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さらに別の方のブログを見てみましょう。
この管理人さんは、自衛隊の中に、在日朝鮮人の部隊があり、それは米国によってつくらされた…とあります。
ありえる話だと…
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JAL123便墜落事故・自衛隊員への銃撃、更に連続自殺⇒パイナップル・ブリゲイズ
今現在、最も真実に近いと思われる記事。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11232911544.html
NHK速報の
「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を 射殺」
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。
続報が入り次第お伝えします」
(注!ちょっと待ってよ…救助に行こうとした隊員を射殺した、それがニュースで流れた…と言う話はすでに伝わっていますが、数名だったのですか?何者かに、「現地で銃撃されて数名が死傷した!のですか!一人かと思っていました‥
もしかして、これが、現場付近で行われたという戦闘のことをさしているのでしょうか…)
この事故(事件?)の1年後から何人もの航空自衛官が自殺に
見せかけられて殺されているようです。
自分も殺されると察したある自衛官は友達に2枚の自殺した
同僚の航空自衛官(1986年7月)の現場写真と決定的な証拠
写真を託して、その自衛官自身も同僚の死後、2ヵ月経った
9月12日に自殺させられたようです。
わんわん
管理人
自衛隊員・男二人揃って仲良く首吊り自殺なんて聞いたことがない。
殺されたんだね。
警察官が拳銃で自殺という事件も新聞などで結構目に
するけど、これも、口封じに殺されたのが大半だと思う。
いう特殊な秘密部隊の存在があると言われています。
彼等なら、自衛隊員や墜落したJAL123便の生き残り搭乗者を
平気で銃撃したり、殺害出来るのも分るような気がします。
そもそも、幾ら命令されたからといって、自国民の同じ仲間の
自衛隊員や同じ国民を殺害出来る訳がないので、予め、
こういった日本人殺害専門の特殊部隊を創らせたのだろう。
創らせたのは、もちろん米軍CIAの連中である。更に、
この事件に関わる米軍に有利な情報などは、そのほとんどが
組織の特殊工作部隊によって流布されたものと考えて良い。
無論、撹乱情報としてである。
墜落したジャンボジェット機の中で、
未明まで生きていたとされるJAL123便の生き残り搭乗者の
40〜50名は、特殊な殺人ガスを吸引させられた挙句に、
証拠隠滅の為に焼かれたものと考えられる。
自衛隊の中には、「日本国家乗っ取り」=クーデター部隊の
存在があるといわれており、日本版FEMAがこれに該当し、
陸上自衛隊幕僚監部調査部調査第2課調査別室、通称「調別」
である。
パイナップル・ブリゲイズというのは、この中の日本人暗殺部隊
という事になるのだろうか!?
或いは、在日米軍特殊工作部隊そのものか。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-365.html
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そして、日航の関係者にも自殺が相次いだようです…
何故でしょう…?
このあと、日本航空にとって厳しい時代が続いたと記憶しています。
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◆1985年9月21日
日本航空の「日航ジャンボ機墜落事故被災者相談室」の富永弘雄氏が
◆利光 松男(1923年-2004年)
日本航空元重役<1985年頃>
その後社長、2004年首吊り自殺。
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1981年 - 日本航空常務
1985年 - 日航商事社長
1987年 - 日本航空副社長
1990年 - 日本航空社長
1999年-自宅に銃弾が打ち込まれる。以降、総会屋・暴力団などの反社会的勢力とJALの決別の推進への報復を警戒し、2004年10月まで自宅が24時間体制で警察の警備を受けた。
2004年-警察の警備が解除されて約1か月後、利光は首をつった状態で発見された。
以上転記終了
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読むと気持ちが暗くなりますよ…
以上転記終了
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そしてこの時期、竹下氏が1987年に首相になっています。
彼は、↓
米軍に拷問されて殺された…と言う説がネット上で出回っています。
↓
竹下登氏の拷問虐殺シーンがビデオ撮りされ恐喝に使われている
……
…
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以上転記終了…
おかしいと思いませんか?
この時代、思いだせるくらい、不可解な政治家の死亡、自殺があった時代…
きっと、ほんとうは戦争状態だったのでしょう。
どことどこかは知りませんが‥
自衛隊は、国にやとわれています。
絶対服従です。
命令を無視したら、大変なことです。
しかし…
銃殺されていたとは…
今回のブログ管理人さんの記事内容から、自衛隊官舎から出る時に射殺されたわけではなく、現場に命令を無視して、救助しようとして赴き、そこで、「何かを作業中の得体のしれない何者かによって、射殺された…」のだということを推測しました。
自衛隊の内部では、真相を追求する動きもあったのかも知れません。
そうした人たちが、「口封じで、自殺に見せかけ殺された…」
そして、日航関係者の、「真相を知るものも、自殺に見せかけて殺されたか、自殺に追い込まれていた…」と、想像してしまいます。
真相は、藪の中ですが、いつかきっとすべてが明らかになる日が来ます。
911がそうであったように…
私達は、だまされないようにしなければいけないのです。
私は、もう大体推測付きました…
みなさまはいかがでしょうか…
世界は変動しています。
1985年を巡る世界の状況と今とは異なっています。
私たち市民は、何が起きても巻き込まれないように、本質を見失なわないでいたいものです…