LPSA
以下は大半が私の想像力による文章。あまり調べないで一気に書く。
日本女子プロ将棋協会(LPSA)が発足したのは2007年。日本将棋連盟からの独立に
関しては、当時の米長会長の働きかけがあったように記憶している。女流側に
不満があったかどうかは定かではないが、連盟の正会員ではないので権利には
或る程度の制限があった(棋士は四段でもタイトル棋士でも1人1票、女流は0票だったか
女流全体で1票だったか)。対等な立場を要求するなら独立すべし、は一応理に
適っているような気がする。
連盟の後押しもあり、女流全員が新組織に異動しスタートする筈だった。が、準備期間中に
発案者の米長会長から横槍が入る。希望者は連盟に残留してもよいことになった。
一説によると、女流の看板棋士は商売になるので連盟側で利用する目的だったとも。
私は常識的に、慣れない運営で悪戦苦闘するLPSAへの駄目だしと感じた。送り出した手前、
全員を連れ戻すのは筋が通らないが、将来的には再び吸収する腹積もりだったのでは。
兎に角、少数ながらLPSAは独立を果たし、スポンサーを見つけ軌道に乗せようと
努力を続けた。LPSA主催の独自棋戦も幾つか走り出す。毎月2回程度の頻度で
新棋戦を開催し続けていた。LPSAの規模からすると、かなり頑張ったほうではないか。
其の過程で、北海道でアマ参加のオープン棋戦だったか、鬼のように強い中学生が
参戦してきた。彼女の活躍は目立ち、全国でも名が知られるようになるまで左程
かからなかった。拠点の帯広から、高校は札幌へ進学。この間の事情は分からないが、
この環境の変化は非常にプラスに働き、道内トップアマの新井田さんの薫陶を受けたとも聞く。
程なく、LPSA公認のツアープロとして招き入れられる。
私の知る限り、LPSAが採用した女流プロは現在に至るも彼女ただ1人である。当初は
連盟側の持つ棋戦への参加が可能になるか不安だったが、1年程して認められた。
彼女の名は渡部愛。今年、女流王位のタイトルを獲得した。帯広市に初めてのタイトルを
もたらしたことを忘れない。因みに、デヴューしてから陰ながら応援し、色紙も持っている。